ナチスも、ルペンもそうだが、それら極右は、財界の頭の固いブルジョアジーとの利権や関係にしがらみの中道右派に対する反抗形態として、極右ボピュリズムを選ぶ。ちなみに、ルペンは政権を取れないから、幸いにも、極右党首の世襲が保守化するドツボにはまり、他国の極右を賛美するだけの存在に成り下がっている。万国の極右よ、団結せよ!
それはともかく、極右ポピュリズムとは、民族を絶叫するだけのなんら無計画な反抗でしかなく、それは、革命でさえない。空回りしたフィヒテやハイデガーに過ぎない。

 極右ポピュリズムのトランプは、トランプが一人で暴走しているだけでマジョリティ多数の側のブッシュは、トランプを非難しだした。つまり、マジョリティ多数は、コラコラお前何してんの?と極右を怒るんだよ
理由なき反抗が、極右ポピュリズム政党である。その理由なき反抗を、石原慎太郎や小池百合子や橋下徹が選ぶのは、政治闘争として、選ぶのは、わからなくもないが、それは、理由なき反抗で終わる。事実、ルペンは、反抗から、保守化した。
つまり、極右とは、極左がそうであるように資本主義国家では、周縁からの反抗もしくは革命志向だが、極左は、明確な革命志向であるのに比べ、極右は、無計画な反抗が、そのパフォーマンスが、不満大衆に入り込むのだ。それらが、絶叫される、民族主義の記号である。
周縁の存在である極右を、政権与党が、なぜか選ぶ珍現象が日本の安倍自民党である。
なぜ、地盤も財界も握る安定多数の政権与党が、理由なき反抗の極右を選ぶのか。
その理由なき反抗は、安倍晋三は、憲法に対する攻撃として、信念のように見えるが、理由なき反抗の人間がとるように、それは、思いつきで、自衛隊を第3項に書き加える、という案で、内部から批判が起きている。
つまり、安倍晋三のその極右は、頭の固いブルジョアジーや政治家から見ると、怪訝な存在に見られている。

マジョリティ政権与党が極右ポピュリズム化する国は日本くらいではないか。

せいぜい、安倍晋三の極右とは、秋葉原駅前のその範囲とインターネットの仮想現実を超えるものではない。

山口4区は、岸信介、安倍晋太郎の家計だから、安倍晋三を支持しているに過ぎない。

安倍晋三は山口4区では極右をできないのだ。

安倍晋三の極右ポーズとは、家を出た息子が家のルールから解放されたつかの間の自分を回復する遊戯でしかなく、それは、せいぜい、秋葉原を超えない。

われわれは、安倍晋三や頭の固いブルジョアジーにもどちらにも加担しない。
リベラル保守でありさえすればよい、という玉虫色の立憲民主党ではないのだ。
われわれは、明確に、社会民主主義を志向し、資本主義に寄生する安定多数の保守や、その理由なき反抗でしかない極右を、打倒すべき階級と見る。
なぜ、左派野党は、労働者よ、団結せよ、と言わないのか。
日本の左派野党はリベラル保守の犬として、終わるのか?

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