思考するプロレタリアート日記

I am not Abe ちなみに、私がかつていた勤務先は、僕の父親が亡くなって、勤務先から誰も葬式に参加しないは、お見舞金もださないわ、電報は他人に書かせ、名前は自分名義で、電話してきていうには「俺の呼び名」を間違えるなよ、と自分のことしか言いません。最悪な勤務先です。 非正規だから「差別」しているんですよね?

タグ:シャルリー・エブド

イスラム国「人質動画」コラ画像に海外反応 仏メディア「日本人もまたシャルリーだ」と評価
http://www.j-cast.com/2015/01/23226089.html

フランスの公共ラジオ「フランス・インター」電子版は1月22日、「フォトショップがジハーディスト(イスラム過激派)に対抗」との見出しで記事を配信した。「フォトショップ」は画像加工ソフトの商品名だが、ここでは加工そのものを指しているようだ。人質解放に2億ドルと巨額の身代金を要求したイスラム国に対して、「日本のツイッターユーザーは、ユーモアで対抗する道を選択した」と紹介。さまざまなコラ画像の投稿には、「切迫した状況下では少々恥ずかしい」「いや、お笑いこそイスラム国の脅しに対するベストな回答だ」と賛否出ているという。記事の最後は、こう締めくくられている。

    「この点においては、日本人もまたシャルリーだ」(文中より)


私は日本人もまたシャルリーだ、というのではなく、シャルリーは日本化でしょう。
フランスのオタク文化でしょうね。
彼らはフランスの風刺は伝統とは言っているが、無力な自分が相手になにかいいたい、だが、できない、というその心理が「パロディ」として相手を「批判」したような気分を出す。
これは子供の落書きをする心理です。

日本ではゆるキャラにあたるああいう類がフランスではシャルリー・エブドではないか

私の見解ではシャルリー・エブドの「言論の自由を守れ」デモで集まったフランス人は日本で言えば「クール・ジャパン」のように自民党を支持する「オタク」ではないのか?

「シャルリー・エブド」とは、それはまた「クール・フレンチ」である。

オランドデモに集まったフランス国民が言いたいその言語化されない「意識」、
それは単に「フランスはすごい」だけでしょうね。




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シャルリー・エブドの表現の問題点はその差別性もあるがレベルが低いことです。つまりフランス文化は低下した。過去のフランス人なら逆にそれはフランス文化ではない、というのでは。

いや、僕はフランスに行ったことはないのですが、日本で趣味で「フランス映画」を観たり、「フランス文学」を読んでそう思うのです。過去でなくても最近のクレモンティーヌとくらべても、シャルリー・エブドの表現は拙劣ではないか、と感じる。

論戦に勝つことで、 何らかの真理が樹立された例は、
いまだかつて無い。

そんなことを信じているのは、
子供だけだ。


フランスの哲学者、アランの言葉です。

シャルリー・エブドの日本のお笑い芸人レベルのくだらない表現、それも「差別まるだし」の「表現」を擁護するのに、「表現の自由」をもちだすのは、先に紹介したアランの「論戦に勝つことで、何らかの真理が樹立された」であり、その「真理」とは「マスプロ化」した「オリエンタリズム」そのもので、「そんなことを信じているのは、子供だけだ。」です。

日本人も「子供化」してきたのですが、フランス人もどうやら「子供化」してきた。

フランス文化の低迷の象徴が「リュック・ベッソン」です。
これはなにも「フランス」で作る必要はないではないか。
これはヌーベルヴァーグの映画監督たちが憧れた「アメリカ映画」を真似る、ではなく、
「リュック・ベッソン」それは「アメリカ発のグローバリゼーション化」の産物ではないのか。
シャルリー・エブドの「風刺」と言い張る「表現」ですが、これは「アメリカ発のグローバリゼーション化の産物」でしょう。
その産物は国をかえて、様々な形態をとる。
イスラムでは「イスラム国」が「アメリカ発のグローバリゼーション化の産物」です。
日本で言えば、日本を独自文化と言いたいその言葉が「アメリカ発のグローバリゼーション化の産物」です。なぜならそれはワシントンのハンチントンが言ったにすぎない。つまり、日本人が「日本文化」を独自文化というその「ナショナリズム」そのものが「アメリカ発のグローバリゼーション化の産物」なのです。
シャルリー・エブドのムハンマドに涙を流させるという表現がわかりやすく表現したい「ハリウッド映画」的です。
もしくは日本の「バラエティ番組」です。日本の「バラエティ番組」もアメリカを真似たにすぎない。いまは、「松本人志」のような芸人がいる。だが、それもアメリカのレスリー・ニールセンみたいなものではないか。
というかシャルリー・エブドはレスリー・ニールセンのようなものだ。(笑)
シャルリー・エブドは日本と同じように「「アメリカ発のグローバリゼーション化の産物」もしくは「エンタメ」もしくは「消費資本主義化」したその結果であって、フランスの伝統とは言いがたい。
それは日本の「松本人志」を伝統的な漫才とは言いがたいのと同じ「アメリカ発グローバリゼーション化の産物」です。
であれば、フランス国民が守った「言論の自由」とは、いったい何だったのか。
それは日本で言えばくだらない「バラエティ番組」を「言論の自由」で守る、というくらい「知的レベル」が低い戯言です。
いくら「襲撃」されたとしても「フランス人民」は決して言うべきではなかった。
それは、フランスの「自由・平等・博愛」という理念を侮辱することになる。

そして、「言論の自由」が保障されるのはシャルリー・エブドのような「法人」ではなくあくまで「個人」です。
では、その「言論の自由」の中身は「営業の自由」だということです。
それが「アメリカ発グローバリゼーション化の産物」です。
事実、シャルリー・エブドは、襲撃され、同僚が死んでもショックもなく、
ムハンマドを表紙にして最新号の売上が増えました。
そんな恥知らずなことは、アランがしただろうか?サルトルや、ボーボワールがしただろうか?
現在に目を転じても、レオス・カラックスはするだろうか?

私は以前、福田和也の本で知りましたが
フランスの労働者も「昼食時間」をとなれなくなってきた。
日本とまったく同じ現象です。

シャルリー・エブドは「フランス文化」ではない、それはあくまで「「アメリカ発グローバリゼーション化の産物」であって、それは先進国共通の「病理現象」です。

フランスの大衆はフランス文化を実は知っていないのでは?
日本の大衆が日本文化を知らないように。







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シャルリー・エブドの「差別的表現」を「ユーモア」というのは、
日本の官僚がよくやる「言葉の言い換え」です。
これは高学歴出身者ほどよく使う手段です。
安倍はその「高学歴出身者」の「言葉の言い換え」を読み上げているに過ぎない。
自民党政治家は言葉を実はいい変えていない、正直に「戦争をしたい」と申しあげている(笑)
おかしなことに自民党を批判的な朝日新聞もその言い換えを平然と行なう。
朝日新聞の富永格という記者が書いたツイッターのつぶやきにこう書かれてあった。

表現の自由VS宗教の尊重

前者は「自由」なのですが、後者は「尊重」されるだけです。
これはおかしなことではないでしょうか。
尊重されるが、それは「不自由」なままということでしょうか?
このような妙な言い換えをするのを他に行っている「左派」が
日本共産党です。

彼らは単に自分たちの「暴力革命」の言い換えを「平和」と言い換えていてそれも憲法第9条を楯にしているだけです。

これは「欺瞞」です。
多くの人は「欺瞞」に「自由」をみてしまう。
それは自民党に反対しているからそういう「欺瞞」をみないようにしているだけだ。
それは「セクト主義」です。

あいつは絶対「自民党に反対」しているから間違いない、です。
それはダメなものはダメだ、という土井たか子式思考停止といってもよい。
大事なことは個人で考える事。
個人で考えたことを議論もなく弾圧する組織はいくら「自民党に批判」していてもそれもまた「自民党」です。



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イスラムは悪いことをするという悪質なイメージ操作がフランスの「左派オランド」によって「自由・平等・友愛」の名で行われ、マジョリティのフランス国民 は自分の「自由」さえ守られればいいという「功利主義」で「言論の自由を守れ」と絶叫し、ムスリムを差別して「マイノリティ」の「自由」を敢然と踏 みにじる、それも「自由・平等・博愛」の名で。差別されているのはロマもいる。

その「自由」は「功利」である
自由、平等、所有、そして「ベンサム」(マルクス)が「シャルリー・エブド」の「グロい本質」である

フランスマジョリティにとって「政治思想」の違いはマイノリティには特に関係ない。オランドであろうがサル コジであろうが「差別」されることにかわりない。
そして日本の「左派」を自認しているらしい「朝日新聞」はその差別を見ずに「自由・平等・友愛」のデモに 「感動」して幕は閉じられた。


だが、「差別」は維持され、シャルリー・エブドの最新号はムハンマドでアラビア語版まで発行した。シャルリー・エブドの最新 号はムハンマドでアラビア語版は挑発、恫喝でしょう。「左派オランド」が仕組んだんじゃないのか。疑うぞ。

自由、平等、所有、そして「ベンサム」(マルクス)が「シャルリー・エブド」の「グロい本質」である


風刺こそ政治だ。あなた達国民も政治家を風刺しているではないか。それこそ「政治」だ。風刺こそ強力な政治だ。ムハンマドは泣いている?それこそ「責任転化」だ。

自由、平等、所有、そして「ベンサム」(マルクス)だ。
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シャルリー・エブド襲撃事件で殺人は許されないが、殺人事件をテロと呼ぶことで、もたらす意味は大きい。いや、あれはテロではないか、どうみてもテ ロではないか、と言いたい向きは多いが、私から言わせれば、これは、私の偏見かもしれないが、テロリストは多くは金持ちである。
事実、オサマ・ビン・ラディンは金持ちではないか。
ここに面白い記事がある。


人殺しのプロ…の割にテロの成功率は 金持ちほどテロリストに?――フィナンシャル・タイムズ
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20070726-01.html 

「2001年12月にパレスチナのガザ地区とヨルダン川西岸で実施された世論調査によると、無職の人や労働者より も、学生や大学教授の方が「テロは正当化できる」と答えた。さらに、テルアビブのナイトクラブ爆破は「テロ行為ではない」と主張するのも、学生や大学教授 の方が多かった(一方で、教育を受けて経済的にゆとりのある人の方が、穏健派になりやすいという証拠は、調査結果からは得られなかった)。

プリンストン大の大学院生で経済学者のクロード・ベレビ氏は、パレスチナの自爆テロリスト40人について調査。その結果、平均的なパレスチナ人よりも自爆 テロ犯の方が、教育レベルは高く、経済的にも裕福だったと結論した。さらに、戦死したヒズボラ兵129人の記録を調べたところ(ヒズボラ兵たちは必ずしも テロ攻撃に関わっていたわけではないが)、彼らヒズボラ兵も、当時の平均的なレバノン青年よりは優れた教育を受けていたし、経済的にもいくらかはましな状 態にあった。 」(文中より)


事実、今回のシャルリー・エブド襲撃事件を「テロ」と信じて疑わない人の大多数は「無職の人や労働者より も、学生や大学教授」ではないか。というか、襲撃事件をテロと言い出したのは、「学生や大学教授」のような比較的教育のあるタイプで裕福な層である。オラ ンド大統領は「耳鼻咽喉科の医者ジョルジュ・オランドを父に、ソーシャルワーカーのニコール・トリベールを母に生まれ」た比較的裕福な層である。

「無職の人や労働者」もシャルリー・エブド襲撃事件を彼らが名付ける「テロ」と呼ぶことによって自分の不安を鎮めようとしているようだ。

そして先に紹介した記事で「プリンストン大の大学院生で経済学者のクロード・ベレビ氏は、パレスチナの自爆テロリスト40人について調査。その結果、平均 的なパレスチナ人よりも自爆テロ犯の方が、教育レベルは高く、経済的にも裕福だったと結論した。」と書かれているように「テロリスト」は「経済的にも裕福 だった」のである。

では、今回のシャルリー・エブドを襲撃した犯人が属していた層は、どうであったか。彼らはアルジェリア出身のマイノリティである。マイノリティが起こした 「殺人事件」を見えない恐怖が襲ってくる「テロ」と呼ぶことによって、フランスマジョリティの「不安」を煽り、自分の「恐怖」を外に向けているだけだ。


シャルリー・エブド
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/…/post-6e04.html


「もしイスラム教徒が、風刺漫画を強調したいのであれば、一体なぜヘイト・クライム訴訟をおこさないのだろう?シャルリー・エブドがイスラム教徒を風刺し た様なやり方で、ユダヤ人を風刺したなら、ヨーロッパの雑誌に一体何が起きるか想像願いたい。実際、ヨーロッパでは、ホロコーストのあらゆる側面を完全に 支持した上でないと、ホロコーストを追究すれば、人は投獄されてしまう。

もし、イスラム教の裁判が、フランス当局に葬り去られたなら、イスラム教徒は自分達の意見を強調すればよい。人々を殺害しても、イスラム教徒を悪魔化することにしか役立たず、その結果、ワシントンの対イスラム教諸国戦争に役立つだけだ。」(文中より)


「もしイスラム教徒が、風刺漫画を強調したいのであれば、一体なぜヘイト・クライム訴訟をおこさないのだろう?」ということだ。


シャルリー・エブド襲撃事件がイスラムに対する風刺への言論封殺を目的とした「テロ」という見方を捨てたほうがいいようだ。

そして、シャルリー・エブド襲撃事件がイスラムに対する風刺への言論封殺を目的とした「テロ」という見方、をしたがる人間の多くは困ったことに「知的な層」である。


う~ん、ドストエフスキイを読みたくなってきたあ!

(あんたも「知的」と言われたがっているんでしょ!)





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